情 状 酌 量 。

もやもやしつつ、もやもやしない。

仮性包茎、手術、反対。

先日子供を日本人学校に通わせている韓国人女性の方から包茎手術の話があった。
韓国では小学生の頃に包茎手術を受けさせるのが割と一般的で、私の夫も小学生の頃に受けさせられている。
特に90年代頃はブームだったようで、夫の世代は基本ほとんどの人が受けていると聞くほどだ。
息子の包茎手術について悩むのは日本人女性にはあまり考えられないが、
礼文化を持っている国の人たちにとっては、割と当然のことなのかもしれない。
(韓国は割礼の文化があったわけではないと思うので、なぜそれが人口に膾炙したのかよくわからない)
 
韓国ドラマで見たことがある人もいるかもしれないが、包茎手術を受けた子供たちはクリニックからあそこに紙コップをつけて痛がりながら出てくる。(確か「応答せよ1997」か何かでそういうシーンがあったと思う)
夫いわく、その痛さといったら尋常じゃなくて、なんで親によってあんな手術を受けさせられたのかは今になっても理解できないらしい。
というか私の夫はそのことに今でも不服な気持ちを持っているし、
(しかも夫のちんこはキャラクター的に、年齢がきたら勝手に剥けてそうな気がするので、ただただ無駄な手術を加えられた感満載。)
私も私でむき出しのちんこよりもきちんと収納されている包茎はむしろ高級ツール感も安定感もあっていいと思っているから、心底「かわいそうに」という思いしかない。
包茎は基本的に不衛生さが問題になるが、高級ツールというのは手入れに手間がかかるものなのだ。
 
私は息子がいても包茎手術を受けさせる気などさらさらないし、真性包茎以外やよっぽど悩んでいる人以外の包茎手術に関しては専ら反対。
親が性器に魔術をかけるなんて、炎症で男児を複数失った歴史がある民族くらいにしか許されないよ、と思う。
むしろそういう歴史がある民族だって、今の時代なら割礼するより衛生意識を育てる方が新時代的だと思う。
なのでその女性に、「息子さんには、こういう手術があって韓国ではやってる人はやってるけど、大事なことだから将来自分で判断してするように、と伝えればいいのではないですか?」と答えた。
私もそう思うんですけどねー、と彼女は言う。
彼女の反応は、韓国ではいまだに包茎手術をさせるお母さんたちが多いということを物語っている気がした。
日本人ママにはない異国の悩みだ。
 
それから驚くべきことに、彼女が言うには、セックスの感度を下げるのも、包茎手術の一つの目的なのだという!
子供が性的快感に興味を覚えすぎないように、と言うわけだ。
はー。整形大国は考えることが違う・・・。と私は目を丸くする。
と思ったが、家に帰ってきて調べてみると、割礼の項目の中にもそういう記述がある。
だが、包茎手術で感度を下げたくらいで(調べたところ30%程度下がるらしい)なんだというのだろう。
感度が欲を生み出すという発想なのだろうけど、感度は低くても抑えられない性欲の方が大部分であればどうするのだろう。
何れにしてもそんなの親が勝手にするなんて人権侵害だよ、と、私の中のちんこ(仮性包茎)が、怒りを覚えている。
 
しかし驚きはここにとどまらない。
欧米ではむしろ包皮を再生する手術をする人たちが沢山いるという!!
母のことを恨みながら、「俺の失われた時間を返せ!!」と言いながら再生手術をする男たちが目に浮かぶ。
ああ、なんて哀れな。取り返した包皮は一体どこからやってきた代物なんだろう。
興奮のあまり、私は夫の部屋にかけて行って、話す。
「今日、包茎手術の話になったんだけどね!それで、家でも調べたんだけどね!再生手術があるらしいよ?!」
「知ってる」
「すれば?」
「(笑)」
夫はすでに調べ尽くしている、包茎の真実を。
 
しかし大人になったら勝手に剥けるタイプのちんこが再生手術で包皮を被ると、一体どうなるのでしょうね。
世の中わからないことだらけです。
 
 

パニック障害メモ —パニック障害になってやったこと・やらざるを得なくなったこと—

 

過呼吸から始まって、不安や恐怖や動悸で普通に道も歩けない、カフェにも居座れない、電車も乗れない、本も読めない、呼吸が上手くできない、悪いイメージに苛まれる、狂いそうな感覚を覚える・・・

どうにもこうにも症状が豊富過ぎて、全てを表しきれないのがパニック障害です。

まだ一人で飛行機に乗ったことはないので完治とまでは言えませんが、普通に生活は出来ています。

私が薬を飲まずに治す過程で行ったこと、行わざるを得なかったこと、配慮していたことのメモをここに残しておきます。

 

 

オステオパシー 

過呼吸から全身の激しい痺れで救急車で運ばれ、翌日も震えや恐怖が止まらず、一体何が起こったのかわからずに始まったパニック障害。友人の施術者に家まで来てもらい、パニック障害だと気付くまで繰り返し施術してもらっていた。姿勢の歪みやからだ内部の歪みをとることで、体から無駄な緊張を取り除く効果があった。初期の頃は何が何だかわからなかったので、友人の施術だけが心の支えだった。初期の重度の症状をある程度のところまで持っていくためには、オステオパシーも良いし、鍼治療も良いと思う。

 

・糖分(白砂糖)を控える

数日で治るだろうと考えていた症状が全く治らないまま数週間が経ち、家にいても突如激しい恐怖で息苦しさで、お守りを握りしめて呪文を唱えないといられないくらいになった(私は全くそんなタイプではなかったので、自分でも意味不明。一つ言えるのは自分を追い詰めても平気でいられる精神が、全くその強度のまま自分を最大限不安・恐怖へと追い込むので、追い込む力がある人は要注意)。突然来る恐怖の原因がわからずにいたが、徐々に原因は白砂糖であることが判明。血糖値の急激な上昇を抑えるために、家での上白糖の使用をやめる。お菓子もとらないようにした。

 

・カフェイン、冷たいものをやめる

私のパニック障害は自律神経失調を伴う、副交感神経と交感神経のスイッチの病気だったので、カフェイン、冷たいものの摂取は以ての外。

 

・水筒に入れたお湯を持ち歩く

副交感神経へとスイッチを切り替えるために持ち歩くもの。最初は普通に道も歩けなかった。雑踏を聞くだけで動悸がした。1年半経つくらいまでは、一人で少し離れた場所に行く時は必ず持参していた。

 

・陰ヨガ

オステオパシーで友人が「今のところできることはやった」と言ってくれた後からも、激しい不安と恐怖に定期的に襲われた。パニック障害では、想像したことが普段の何倍もリアルに感じられてしまう(人によって症状は違うかもしれない)。私の場合首を切られるイメージが繰り返しリアルに頭の中をよぎり、自分の首が切り取られる音まで聞こえるようだった。体内で刃物が自分を切り裂くようなイメージもあった。想像した全てが、実際に起こっているかのようにリアルに感じられる。悪霊に取り憑かれたとはこのことだ、と言いたくなるような、この上なく辛い白昼夢。ヨガでリンパの流れを良くすると、このイメージが7割がたましになったので、日課となった。本来運動でもこれは防げたのではないかと思うが、一回重度のパニック障害になると、既に激しい運動を急に行うことはできないので、陰ヨガ(自律神経を整えるためのヨガ)が最も良いと思う。1年以上続けた。

 

因みに悪いイメージは基本的に、それまで自分が見たもの、イメージした事があるものが出てくる。だからグロい映画などを見続けている人は、それ相応のものが出てきて、発狂しそうなくらいの悪夢を実体験することになるので要注意。

 

・瞑想

私は初回の発作(過呼吸)で頭まで痺れてしまっていた(その恐怖で救急車を呼んだのだが)。あまりに脳が重度の緊張を強いられたのか、パニック障害を発症後、瞑想のやり方は自然とわかるようになった。瞑想をするだけで、脳が癒されるのがはっきりとわかるようになったのだ。

原因の不確かな動悸、狂うのではないかという恐怖、離人感などの症状に襲われた時は、必ず、ヨガと瞑想と呼吸法を行った。

ヨガはリンパの流れを良くし、かなり症状を軽くする。それでもダメな時は瞑想。特に寝る前は目を閉じても、体が眠りに向けてうまく収まらず、不安で眠れないことが多々ある。瞑想で体のリズムを整える。呼吸によって脳の動きと内臓の動きとを落ち着かせ、不穏なイメージを軽くすることができ、また早く眠れるようになる。

 

・呼吸法

現代人は呼吸が浅い、というのが自律神経系の不調やパニック障害の根本原因の一つ。自律神経の働きはコントロールできないが、唯一呼吸はコントロールが出来る。吐く息を長くする。これによって自律神経の働きを整えることができると言われている。

眠れない時は呼吸法に気をつける。不安な時は深呼吸をして息を長く吐く。かなり症状が出ている人なら、息を長く吐くときに、脳が休まる感覚があるのもわかるはずだ。

 

・ウォーキング、電車の練習

リズム運動、日光浴と行った、セロトニン生成のために欠かせない運動。

だが特に薬を飲まないでパニック障害を治そうとする場合、恐怖で一人で外を歩くことが難しくなる。広場恐怖症のためだ。私の場合、ウォーキングしている時に、広場恐怖症の症状がよく理解できた。よく知っているはずの道も(病気になってまだ一人で歩いたことがないところはすべて)、「ここから先に行けるだろうか」と心の中にふっと不安が現れる。場合によってはこれがそのまま動悸になる。パニック障害はこれに打ち勝っていくしかない。出来るだけ初期から始めたほうがいい。電車に乗ることは恐怖(周りの動き)の中に佇むという意味での戦いだが、ウォーキングは恐怖と自分の体ごと戦う練習。自信にもつながるような気がする。

 

漢方薬

漢方医に私が言われたのは「パニック障害は西洋医学では精神(頭)の病気。東洋医学では血の問題。あなたは血が足りていない」。そして血を増やす漢方薬をもらった。西洋と東洋の見解を合わせて実際パニック障害になった私がイメージしてみると、パニック障害は神経の末端まで血が行かないとか、それによる神経の情報伝達の遅延のような感覚を伴っているように思うのだが(反復しすぎによる神経の消耗のようなものでもあるかもしれない、イップスとか、ジストニアとも近いような気がする)、それは医学的な研究をしてみないことにはわからない。ただ、血糖値の上昇と私のパニック障害は確実に関係があると感じるし、アルブミン(血清によって作られている)の点滴をされた時にもひどく症状が悪化し、具合が悪くなったので、血液は一つのキーワードたり得ると思うし、その質や量に関して関心を払う価値があると思う。

とにかく血が足りていない人は血を消耗してはいけないので、激しい運動もしてはならないという。(血虚という症状について調べて欲しい)

2年近く経った今でも、電車に乗るとか何か克服すべきものが目前にあるというわけでもない時にも、やはり自律神経系の不調や、パニック障害的な不安が起こることがある。様々なことに注意を払って2年以上たった今も、まだ起こるそうした症状を抑えていくには、血という観点からのアプローチ、すなわち漢方薬が有効ではないかという気がする。その漢方薬を飲み始めてからまだ数ヶ月だが、薬でだるくなるような症状が減った。筋トレとの相乗効果で自信が増しているように思う。就寝中の唾液による誤嚥が起こっても死の恐怖を感じなくなった。

 

・ビタミンB

ビタミンBを飲むと就寝中の「死ぬーーーー!!」と息ができなくなって目覚める回数が減った。1年くらい飲んだ。

 

・特定の姿勢に対する注意

私の場合寝っ転がって携帯を見たりするとその日1日呼吸が苦しくなったりしていた。これは筋トレによって改善された。

 

・運動

私の場合、ちゃんと運動をしていなかったツケがパニック障害として現れたように思う。鍼治療で深層筋を整えてもらい、かなり良くなってきた直後、インフルエンザにかかり、またものすごい具合が悪くなった。数日間寝たきりになってしまったせいで、身体の中に不安を生成するための要素が溜まってしまったのだと思われた。

あらゆることをしても運動をしなければ真に治ることがない、と1年半くらいで突如さとり、筋トレを始めた。ウォーキングだけではある程度のところまでしか治すことが出来ない。私にとって真に必要な運動は、呼吸器官周りの筋トレのようだった。筋トレを開始してから、誤嚥が著しく減り、誤嚥による恐怖も減少。ただ、機能性ディスペプシアかと思われるような胃痛がかなり増えた。もしかすれば上半身の胃の周辺の筋力だけ強化しているせいかもしれないと思い、腹筋、背筋を追加。特に腹筋を開始してから、下から支える筋肉が出来たせいか、胃痛が減ったように思う。腹筋は特に、生命力の復活を感じさせるものがあるので、オススメ。

 

・鍼治療

パニック障害は深層筋のコリが問題となっていることがある。そのコリをほぐすために鍼治療に通うことは、特にパニック障害発症してすぐの頃に、著しく効果があるのではないかと思われる。ある程度良くなってきたら、定期的な運動をすることでも良いと思う。

 

・セルフお灸、ツボ押し

特に私は海外に住んでいるので、病気の時に頼る家族がいない。自分の心の支えとしてセルフケアの手法をいくつも用意し、具合が悪くなった時に、いつでもできるようにしてある。

 

・アロマオイル

私は特にベルガモットにお世話になった。寝るときに垂らしておいても、悪夢や恐怖での目覚めが減るし、遠出する時もお湯と一緒に必ずハンカチに垂らして持っておく。

 

・頭のマッサージ

私は頭を使う生活をしていたので、頭のマッサージ機を購入し、頭皮を柔らかくした。現在は毎日使用はしていないが、飛行機に乗る際などは必ず安心のために持ち歩いているし、寝る前にマッサージをすると翌日朝まで足がポカポカだったりするので、血流アップに良いと思われる。頭を使う仕事の人にはかなりオススメ。

 

・呪文1「不安と動悸は全く関係がない」

パニック障害は脳の誤作動、とも言われている。危機を感じる際に反応する扁桃体が異常に反応しているのだ。健康体なら何でもない音やら空間感覚やらがダイレクトに緊張や不安、すなわちストレスになってしまい、不調な場合はそれがそのまま動悸になるのだが、「不安と動悸は全く関係がない」と唱えることで、脳の誤解に対して作用させる。特に電車に乗るときに唱える言葉として有効。

 

・呪文2「むしろその方が正常なのかもしれないよ」

友人に言われて励まされた言葉。パニック障害は音や空間に過敏になっている。それは人間が生活の中で鈍感になっている危険への察知が全てオンになった状態とも言える。確かに例えば野生で生きる動物が急に人間世界に入ってくれば、そこにある音や空間の感覚に対してストレスしか覚えないだろう。私は友人に「むしろその方が正常なのかもしれないよ」と言われたとき、「自分の体が異常をきたしている」という恐怖・不安が一つ減った。パニック障害なりたてでどうしようもない恐怖を覚えている人に言ってみてあげてほしい。

プレゼント ービリビリに破いたパンツを贈るようになった経緯ー

 中学生の頃から、私はプレゼントや手紙に趣向を凝らすのが好きだった。バレンタインの時にはお弁当箱に形の違う様々なチョコレートを詰め込み、箸を入れハンカチで包んだり、カセットテープには自分で編集したロックやJ−ポップの歌を曲順まで考えて丁寧に入れ(注意:90年代後半の頃です)、それに付属させる手紙なんかも、パズルの裏に手紙を書いてバラして送ったり、手紙を一行一行切り離して星型に折りたたみ、番号をつけて小瓶に入れて送ったりした。

 それらは大抵、遠距離恋愛をしていた相手に向けたもので、私は彼に年中手紙を書いていたものだから、普通に手紙を書くだけでは飽き飽きしてしまうということもあったし、手紙やプレゼントをする場所が、相手に自分を表現する場になっていたのか、今思えば「私のプレゼント歴」において、私はとんでもないものをあげたり貰ったりしていたような気もする。

 私が貰った物の中で、今思うと異様なものといえば、ゴムに括られて小さな封筒に入れられた10cm程度の茶色い髪の毛の束だ。航空便で私の元に届けられたその毛束を私が嬉しそうに友達に見せると、友達は「何それ、気持ち悪い」と言ったのを覚えている。遠距離をしていた彼がなぜそんなものを送りつけてきたかというと、私が彼の髪型を気に入っていたのにも関わらず、入学した高校の校則でスポーツ刈りにしなければならなくなり、自身もそれを惜しんでいたからだ。「髪の毛が送りつけられる」とだけ考えると気持ち悪いことだが、彼が侍や力士であったら、特別な時に切った髪の毛をプレゼントしてくる人として誰にも気持ち悪がられなかったであろうし、私は「自分にとっての意味」というものに応じて素直に行動をする彼のそういうところを今でも魅力的だと思う。それに、国境を隔てて手紙のやり取りをしていた私たちは手をつなぐこともなかったから、送られてきた髪の毛は相手の身体性を感じられる大事な断片でもあった。(後に実際手をつないだら、髪の毛を貰う時より「気持ち悪い」と感じたのだが。)

 ただし「髪の毛を貰う喜び」を若い時期に体験するか否かで、後の人生というものは変わってしまうものかもしれない。私はその後付き合った相手へのプレゼントに自分の「親知らず」を忍ばせたり、ビリビリに破ったパンツを忍ばせたりする愉快犯的な女になった。今だから言えることだとは言え、こんなことを親が知ったら一体どう思うだろう。

 ビリビリに破ったパンツを入れた経緯はこうだ。大学4年生の時に、医者家系の彼が再度医学部を受験し直すために、忙しくて会えない日が続いた。というか私たちは会わないことを取り決めて、合鍵を貰い、彼がいない時を見計らって掃除をしにいったりするようなもどかしいその時期に、クリスマスシーズンがやってきた。私は彼に何かプレゼントを、と思い、ふと思いつきでワードの文書を作成した。それは確か10個くらいのクイズが載っている紙で、「クイズの正解者の中から抽選でプレゼントが当たる」という趣旨だった。私はその問題用紙、切手を貼った返信用封筒を入れた封筒を、彼の家のポストに入れておいた。数日後クイズの答案が私の家に舞い戻ってきたやいなや、赤いペンで激しい丸付けをする。そして二つ目の文書を作成し、丸付けの済んだ答案とコインロッカーの鍵と共に彼の家のポストに入れる。これが確かクリスマスイブ当日になるように計算してあって、当日彼の家のポストに手紙を入れに行った時には、ケンタッキーだかモスバーガーのおいしいチキンもポストに入れておいた。のちに冷え切ってしまうであろうことも構わずに。

 そして彼が封筒から取り出すであろうはずの文書には堅苦しい文章で次のようなことが書いてある。厳正かつ公平な抽選の結果、プレゼントがあなたの元に届いたのだ、と。社長共々パンツをビリビリに破って喜んでおります、と。そしてコインロッカーの中に用意した大きい紙袋に入ったプレゼントには洋服やお菓子など、本当のプレゼントも当然用意してあるのだが、その中に社長が破いたビリビリのパンツが入れてある、という仕様だ。しかもそれは実際に私が使い古した、不要のパンツなのだが、今思えばよくもまあそんなものを入れたな、という気がしなくもない。ただ私は恥のない人間ではなかったし(むしろ恥は人三倍強い)、とにかく驚かせたいという一心だったのだと思う。だから恥を忍んであえて自分の履いたパンツを入れるしかないと考えたのだろうし(驚きのためには実際に相手に履いているのを見せたことがあるものでないとならない)、自分のパンツでビリビリにしてもいいのは使い古したパンツだと変なところでエコな観点が働いたのだろう。

 私がそういうプレゼントをする女性になったのも、元はと言えば遠距離恋愛の相手とのやり取りの中で、プレゼントがそういう表現の場になっていたということ、相手もそういう表現を喜ぶ人であったこと、そして彼から髪の毛が届いたときに私が「嬉しい」と思ってしまったことからのように思う。常識とは無関係に、二人の間だけの意味に基づいて、何かをプレゼントし合うこと、そしてその中に相手の身体性を匂わす何かがあったという経験が、私をそんな女性に仕立て上げたのだと思う。