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情 状 酌 量 。

もやもやしつつ、もやもやしない。

脱毛広告と美の問題1 —社会的価値と自分的価値—

1.

 大学生くらいまでは電車の中の広告がとても気持ち悪かった。広告というのはこちらの欲につけ込もうとする戦略というか、洗脳的な側面があるから、一人でずっとそういう情報に晒されていると、頭がおかしくなりそうになるのだ。

 例えば「永久脱毛」の広告で言うと、広告を見ているとだんだん自分が汚いもののように思えてきたりする。永久脱毛をしている人ばかりが世の中に溢れている気分になってきて、永久脱毛をしなきゃ劣勢にあるのではないか、した方が良いのではないか、と思えてくる。脇の「剃っても残っている黒い点」のことが気になってくる。(言葉にすると大袈裟になるが、潜在意識を言語化したらこんな感じという意味で。)

 本来ならば、なぜ電車に乗っている通勤や通学や遊びにいくときまでの時間などに、「自分だけが劣勢なのかも知れない」と思う原因となるような情報に出会わなきゃ いけないのだろう?と思うのだが、実際のところそれを規制するものは今のところないので、広告との対話は自分一人で行うしかない。

 外国に行ってみると、電車に広告が無く、日本がいかに広告大国で情報過多であるかがわかる(特に東京がそうなのだと思うが)。若い人たちの中ではこういう情報の多さにストレスを抱えてしまう人も多いはずだし、市民の理屈としては「広告が必要以上に心理的領域を侵している!」という主張も成り立ちそうなものだが、そういうことへの疑問とか、減らしましょうという提案を投げかける人はあまりいない。日本では自由な発展を阻んで規制を呼びかけるような運動をすると「野暮な人」かのように扱われることを前以て知ってしまうので、私もそういう活動には参加しない。そして「広告をなくせ!」というよりも、どうやってそれと自分との折り合いをつけていこうか、と考える。とは言え、別にそれが世界の常識でもないようだし、気持ち悪いと思っている人いっぱいいると思うよ、と思う。

 

 ところで永久脱毛と言えばムダ毛処理だが、前に勤めていたアルバイト先にあったコミュニケーションのためのノートに、女子から男性へ向けてこういう質問があった。

 

「そろそろ夏がやってきます。男性の皆様、どこまでのムダ毛なら許せますか?」

 

 私はなぜわざわざそんな下世話な話しをするのだろうと思ったが、ある意味では必要なデータである。もしかしたら我々は広告業界に騙されているだけで、男性は何とも思っていないかも知れないのだ。

 そしてこの質問に男性たちが、脇はどうとか、足はどうとか答え始めた。それらは大体一般的な意見で、一番ゆるいもので「袖から脇毛が見えていなければOK」とか、そういう具合だったと思う。 私はそれらの回答に満足しなかったのか、この質問を持ち帰って、ちょっと変人ぽいS君という男性に聞いてみた。かれこれこういうノートにこういう質問があり、数人の男性にはこう答えられているのだが、あなたはどこまでがムダ毛と思いますか、と聞いてみた。するとS君が困ったような顔をして言い出した。

 

「…そもそも俺はこの質問の前提から違うと思うんだよね……身体の毛に一本もムダなものなどないと思うから…」

  

 S君にそう言われたとき、私はようやく腑に落ちて、目を見開いて歓喜したように思う。よくよく考えてみれば、確かに思春期には色々なことが気になるものだが、あとあとは広告が、社会が、勝手に「ムダ毛の領域」を決めてくる感覚がある。広告的に言えばそれはVIOラインというやつである。本来であれば肛門の近くの毛についてとやかく言われる筋合いはないし、そもそも毛こそがそこが陰なる場所であることを演出しているのに、なぜ陽に塗り替えなければならないのだろう。ポジティブ思考という風潮が陰をここまで排除しようとするのかと思うと、逆に不健全だぞ、とも思う。

 だが、それが「光り輝く美に通ずる道」であるかのように宣伝してきて、「今現在そうでない私」を見つめさせてくるのが広告だ。これに私は内心で窮屈な思いをするのだが、S君の意見はこれ以上にない客観的な視点の頂点で、尚且つ身体の声を聴くことの出来る視点であると確信した。「たしかに!」と。

 

 …変態と思われるのかも知れないが、私はこういう意見が好きだ。

 ついでに言うと、コンテンポラリーダンサーのような素敵な変人であるS君は、彼が伸ばしている髪の毛(おしゃれとは言い切れない)について何故長髪にしているのかと私が質問したときも、

 

「それ、よく聞かれるんです。でも皆わかっていないと思うんですけど、髪は伸ばすというより伸びてくるんですよ」

 

と言って、自然の方向性を示す意味で一貫していた。(社会を意識しない意味でも一貫している)

 とは言えそんな人の意見ばかりを聞いていられないのが社会である。だが彼の意見は「根本的にはどういうことなのか」ということを意味するもので、こと「毛」に関しては、私に大事なことを教えてくれる絶滅危惧種的ご意見であった。

 脱毛の広告を見て、早々に脱毛してしまうのはいただけない。「根本的にはどうなのか」ということをわかった上で脱毛を選択するのか、それともただ社会の戦略などに乗せられて選択しているのかでは、全く意味が違う。彼の意見を変人の意見だと思って「そんな意見聞いていられないよ」と思っている人は、社会の波に乗れていることを「イケている」と思うのかも知れないが、広告を出す側からの対象は「簡単に波に乗ってくれる人」であり、「こうやっておけば本当にそうだと思い込んでくれる人々」だと軽んじられているかも知れない、というのがこの世界なのである。